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ニュースから。
光市母子殺害事件。 こういう殺人事件の場合、犯人はよくマスコミに露出する。 だからかもしれないけど、遺族への哀悼や、そういう感情よりも、犯人が『なぜこうなったのか?』という理由のほうに感情移入してみてしまう…というのはわたしだけかな? 判決が出て、死刑。 ミクシィ読んでると、なんか「死刑だぜ、やったー!」といってる日記が多い。 でも、「やったー」て。 マシ・オカか。 多分、死刑になっても、遺族の怒りは晴れない。 悲しみも晴れない。 ただ、血で血をぬぐったに過ぎないから。 亡くなった人は戻ってこないし、そのときの恐怖の感情は、死刑でもぬぐえないだろうな。 ただ、生き残った人のための刑。 日本は、死刑制度があるおかげで、特に西欧諸国からは「野蛮」と見られます。 まぁ、ギロチンとか、毒ガスとか、電気椅子とか、効率的かつ、インパクトのある刑を考え抜いた上で、「やっぱり、死刑はダメだよ」といってるわけですから、きっと真実なのでしょうね。 自分の親兄弟や、恋人が殺されたとき、犯人を許せるか、というと、そりゃあ無理です。 きっと犯人を殺したいでしょう。 むしろ自分の手で。 でも、一番の復讐をするなら、手足もぎ取って、市中引きずりまわした挙句、研磨機で身体を削りつつ、アップ系のドラッグで意識を保たせる…(こらこら、こわいこというなよw) でもなぁ、それで、自分の悲しみや怒りが収まればいいけど、残念ながら、よかった、みたいにはならないだろうな。
話し変わって、当人同士より深刻なのが、周りの反応。
「死刑は当然」「社会のゴミ」と犯人のことをいってるけど、じゃあ自分はどうなのさ。 芸能人の失言とか、イジメとかと根は一緒。 「こいつ、おれより馬鹿」「おれはこんなことしねぇ」「こいつよりはマシ」「退屈だから、だれかの揚げ足とってやろー」 みたいな。 ネットの普及で、言いたいこといえるけど、中身がだんだん近所のおばさんの井戸端会議になってるw ※訂正※ 記事中に不正確な内容と、一部片親に対する考えるで、うまく表現できなかった部分があり、削除しました。 読まれた方に誤解のないようにいいますと、片親が不安定、ということではなく、バランスの問題で、犯人が「母を思って甘えたかった」という発言を受けて、「甘えたくても、甘える場所が無かった」のかと思うと、残念に思うのです。 だれだって、甘える場所はいると思います。 かといって、犯罪を許されるわけでは無いですが… 今後、精神的ケアを含めた社会構造が必要かな、と思います。 ランキング参加してます♪
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人は他人の死に無関心。
生と死の意味に興味があっても 理解出来ないでいるから 軽視しているんでしょ 人と人とのつながりが軽薄な世の中じゃ 人が死んでも、自分に関係なかったら 他人事なんでしょ… 片親の子供がみんな精神的に問題あるのなら 私の知り合いはみんな精神的に問題ありかもねぇ… 逆凪さん
ありがとう、コメントで自分がちょっと間違ったこと書いてたのを気付きました。 なかなかこういうことは、発言が難しいですね。 気をつけます。 実際には、片親だからどうこうと思ったことはないです。(母も片親でしたから)
【2008/04/23 14:06】 | URL | みや #-[ 編集] | 私もこの判決が出た時、「やっぱりな」と他人事の感覚で見ていた。
でも、本村さんの会見を聞いてると、決して他人事じゃない事に気がついた。 彼の冷静な意見と姿勢に、脱帽です。自分があの立場に立たされた時、あのように冷静に話せるだろうか?無理だろうな。 加害者も人間で、被害者もその家族も人間で誰も死にたくない訳で、その命を軽々しく語るのはいかがなものかと思った。 今、丁度『家栽の人』を読んでる最中だった。だから余計に、加害者の元少年の気持ちが知りたかったのに残念だ。 蜩さん
いつもこういう事件が起こると、「犯人は生きたくて犯罪を起こしたわけじゃないかも」、て思うんです。 だから、死ぬことで、一体だれが救われるか、て、だれも救われないような気がします。どんな人だって、死ぬときは怖いですよ、きっと。 ああ、うまくまとまらない…頭がスパークです。
【2008/04/27 00:55】 | URL | みや #-[ 編集] | |
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